霊は『れい』とも『たましい』とも読む。不思議なことにそのふたつの読みには大変な違いがある。
夏になると『霊体験』とか『霊現象』とか、最近は『心』をつけて『心霊体験』『心霊現象』『心霊スポット』の特番が組まれる。どうして最近は『心』をつけた呼び名が主流なのかよくわからないが、とにかくすたれることのない夏の定番番組である。
今年はお盆の前後だというのにそうした番組が少ないように思う。京都アニメーションの放火事件からまだ間もない時期だからだろうか。もしそうだとしたら賢明な配慮である。
恐怖の霊(れい)体験などという。だが、本当にそういうものが存在して、本当に誰かの霊(たましい)だとしたら、どこが恐怖なのかということだ。
何が言いたいのかというと、現れた霊(れい)がもし最愛の家族、親友、彼女(彼氏)の霊(たましい)だったら、それは恐怖体験でもなんでもない。あの世からわざわざ自分に会いにきてくれた幸福な体験なのだ。
炎に包まれて苦しみながら死んでいった京アニの社員たちのことを思うと、真夏の風物詩のような心霊番組など放送できるはずもあるまい。もし火災現場に犠牲者の霊(たましい)が生前の姿で現れたら、遺族は喜ぶこそすれ怖がるはずがない。
かつて、夏の心霊番組をみて猛烈に腹が立ったことがある。自殺の名所を訪れて霊現象を探り、再現ドラマを作るよくある内容だった。
見ていくうちに番組のナレーションが流れた。
「自殺者の霊(れい)はいまでもこの世をさまよい、訪れる人々を恐怖におとしいれている」
なんだと!自殺した人間の霊(たましい)はいつまでもこの世にとどまってさまよい歩き、そのうえ生きている人間を恐怖におとしいれているのだと!
自殺したら生きている人をいちいち恐怖に陥れなければならんのか!自殺したら幽霊屋敷のスタッフみたいに人を怖がらせなければならないのか!
ふざけたことを言うな!人を恐怖におとしいれるような面倒くさいことをなんで死んだ人間がしなければならない。そんなことは遊園地の幽霊屋敷でやっていればいい。だいたい自殺現場にいつまでもいるわけないし、いたとしても静かにあの世の生活を送っている。
とんでもないナレーションだった。すぐにチャンネルを回して怒りが鎮まるのを待った。自分の目に涙がにじむのがわかった。
リビングの棚に目をやると、若くして自殺した兄の写真が静かな微笑を浮かべているように見えた。
「そんなに怒るな。俺はとっくに天国に行って穏やかに暮らしている。テレビ番組はなんでも面白おかしく放送するもんだ。許してやれよ」
そう言っているようだった。

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