top of page

努力不要の中毒患者

執筆者の写真: 森徳堂森徳堂

更新日:2019年12月4日

勉強や訓練を重ね、優秀な人材となり、他人より高い収入を得る。それが成功の道である。そう信じてきた時代が終わろうとしている。


勉強や訓練を積むことに時間を費やすより、いち早く情報をつかんで他人より先に投資する。うまくいけば大金が転がりこむ。そこに努力の成果という要素はない。あるのは、失敗の恐怖を乗り越えて金をつぎ込む勇気があるかどうかだ。


典型的な例が仮想通貨である。価値の上がり下がりにほとんど何の脈絡もない。政治や経済との関連性も希薄だ。


上がるという期待で上がり、もっと上がるという願望でもう一段上がる。反対に、下がるという不安で下がり、もっと下がるという恐怖でもう一段下がる。


上げ下げは株でも債券でも起こる普通のことだが、異なるのはどこまで上がるのか、どこまで下がるのか際限がないことだ。


仮想通貨は単なる電子データであり、本来何の価値もない。その無価値な信号が売り買いされ、売買が成立した瞬間に価格が決まる。1コインはゼロ円でも1兆円でもいい。価格には何の裏づけもないから、どんな価格でも成立すればそれがその時点の価値となる。


通貨は違う。発行する国が価値を保証しているし、上げ下げと経済状況が密接に関わっている。だから保有する通貨発行国の状況を綿密に把握すれば、大まかな傾向と見通しが得られる。研究の成果を売買で発揮もできよう。


ところが仮想通貨は研究のしようがない。下がったときに買って上がったときに売るだけだ。


困るのは上げ下げがどこでストップするか、見当がつかないことである。これくらい下がったら買おうかなと自分が思うならほかにも同じように思う人がいる。たくさんいるなら上がり、少ししかいないなら、買ってからさらに下がる。たくさんいるか、少ししかいないのか把握のしようがない。これくらい上がったら売ろうかなと思うときも同じである。


ビットコインの取引が始まったばかりのころ、価格はしばらく低迷していたという。まさしく仮想、架空の貨幣であり、そんなものに投資資金が流れこむなど誰が予想できただろう。


しかし、そんな時期に買い集めていた勇気ある人々がいた。以来、世界中にどれだけの数の億万長者が誕生したことだろう。しかも何の努力もなくである。


あったのはビットコインの誕生という情報を手に入れたこととそれを買う勇気だけである。(もちろん買うための資金もだが)


仮想通貨投資の成功という努力不要の妙味を一度でも味わった者は、その覚せい剤のような快感を忘れることができない。


仮想通貨が下火になったら別の努力不要の投資、それがだめならまた別の投資先を血眼で探すのだ。覚せい剤が切れたときの中毒患者のように。


仮想通貨の代表格、ビットコインは2017年12月17日に最高値の220万円を記録して暴落し、2018年11月には50万円を割ってブームが去ったかに思われた。ところが、最近になって勢いを取り戻し、2019年7月に入って140万円を超えた。


これからさらに上がってまた200万円を超えるのか、下がって50万円を割るのか、誰にもわからない。


わかっているのは、今度もうまく売り抜けて大金を手に入れた人々が確実にいることだ。そこにはきっと努力のどの字もなく、売る勇気と決断だけがあったに違いない。新たな中毒患者の誕生である。

#仮想通貨#ビットコイン#値上がり


閲覧数:11回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comentarios


© 2016 by Moritokudo
bottom of page