最近、朝の通勤で最寄り駅から二駅とばして30分ほど歩くようにしているが、見かける若い女性がたまに非常に魅力的に見えることがある。思い起こすと、新型コロナウイルスの感染拡大で国の緊急事態宣言が出されていた時期にはなかった感覚である。
緊急事態宣言のころは正体のわからないウイルスに四六時中びくびくしてどうやれば感染せずにすむか、もし感染したらどうするか、自分は感染しても死なずにすむのかすまないのか、感染したら家族、会社、近所にどれだけ迷惑がかるのか、そんなことばかりを考えていた。
それが、宣言が終わり、Go To Travel キャンペーンがスタートしたら、気分は外へ向き、旅行もグルメも楽しもうという気分に変わる。不思議なものである。
そして、マズローの欲求5段階説がこんなときもぴったり当てはまることに驚かされる。心理学者アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階に理論化したものだ。人間には5段階の「欲求」があり、1つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動を表している。
その欲求とは最下層の「生理的」から一段上の「安全」、その上の「社会的」、さらに上の「承認」、さらに上の「自己実現」(最上階の「自己超越」を加えると6段階)であり、下から段階を踏んで進んでいくとする説である。
コロナ禍の中で我々の欲求は下から二段の「生理的欲求」と「安全欲求」を満たすために費やされていた。食事や睡眠といった生命維持の欲求と安全な環境にいたいという欲求である。
だから、緊急事態宣言下で我々は、新型コロナウイルスに感染しないために手洗い、うがい、マスク着用を厳守し、他人との接触を極力避けた。日常生活を生命維持と安全のためだけに過ごしてきた。
それが、緊急事態宣言が終わると、集団への帰属や愛情を求める「社会的欲求」、他人から価値ある存在だと認められたいという「承認欲求」へと意識は変わってきた。若い女性を魅力的と感じる感覚も欲求が下の2段を通り越して3段目、4段目へと進んだ証拠だ。
自分の可能性を探求したい、創造性を発揮したいという5段目の「自己実現の欲求」へと進むのは、4段目までが実現してからだ。そこに意識が届く寸前にまた感染の拡大が急速に進み、2段目まで引きずりおろされかけている。
1年延期された東京五輪・パラリンピックについて、17~19歳の5割超が延期か中止すべきだと考えていることが日本財団の意識調査で分かったという。約2割を占めた「中止」の回答者は「コロナが収まる気がしない」「感染拡大がひどくなり終息が遅れかねない」などと危惧していた。
いまアンケートをすればそんな結果が出るだろう。「自己実現欲求」の頂点といえるオリンピックなどおおかたの日本人の意識の外にあるはずだ。「そんなことより安全確保」である。
ワクチン、治療薬が確保でき、いつでも処方してもらえ、日常生活の安全が確保できてやっとであろう。まだ、安全確保ができていないのに3段目、4段目の「社会的欲求」「承認欲求」へと進んでいるように見えるのは、これだけ予防対策をしている自分は安全だと思っている人々や思い込もうとしている人々が「えいやっ」とピラミッドを昇っていくからだ。
7月25日の発表で東京の感染者295人のうち感染経路不明が58%を占めている状況で「自分は安全」と思うのは根拠のない自信にしかすぎない。だが、よく見ると東京の感染者累計は10万人あたり78.8人だから約0.1%弱の確率だ。
令和元年中の交通事故死傷者は約53万人にのぼる。一方、日本国内のコロナ感染者累計は7月25日時点で約3万人。これから年末にかけて急増していく可能性があるが、これから5カ月で交通事故の死傷者数を超える事態になるだろうか。
我々はいまだ正体のよくわからないウイルスにおびえすぎなのかもしれない。しっかり用心してより高次の欲求を目指して生活していくべきではないのか。しかし、感染におびえる自分もいる。
しっかり交通安全を守ったつもりでも交通事故が起こり、これだけ多くの死傷者が出る。新型コロナウイルスにはしっかり用心しても経路不明で感染する。交通事故で死傷したら取り返しはつかないが、感染ならワクチンで予防でき、薬で治療できる。
感染におびえずに生活できる日常を早く取り戻したい。ワクチンと薬の開発・普及がのどから手が出るほど待ち遠しい。(図はネットサイトferretの記事「マズローの欲求5段階説を図付きで解説!各段階に合わせたサービスも紹介」より)

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