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ごみ扱いの謎

更新日:4月8日

朝食は決まってパンとミルクコーヒーですます。平日も休日も、元日を除いては。

しかし、話は朝食のことでも元日のことでもない。


パンを焼いて、バター入りマーガリン(バターよりこっちのほうがよっぽどおいしい)を塗って(コマーシャルやドラマで真ん中だけ塗るシーンがあるが、あれはカッコつけているだけじゃないかと思う。隅々まで塗ってあるほうが絶対にいい)かぶりつく(ドラマや映画でちぎって食べるシーンがあるが、あれば上品ぶっているだけじゃないかと思う。かぶりつくほうが絶対にいい)。


インスタントのホットコーヒー(朝、ドリップして飲む暇はない。ネスカフェのゴールドブレンドで十分おいしい)にパック牛乳(スーパーで買える淡路牛乳が一番いい。何となくだが)を入れて一口飲めば(二口でも三口でも自由)、口の中で混ざりあって(どういう具合に混ざっているかは不明)これまたおいしい。


だが、話はそんなことではない。

焼いたパンを食べると必ず散らばる粉のことである。


菓子パンのときはたいして散らばらないのに、食パン、フランスパン、デニッシュのトーストだとやたらたくさんの粉が皿やらテーブルやら膝の上やらに飛び散る。


それが嫌で何とかならないか、という話でもない。


口に入ってそしゃくされ、コーヒーと一緒に胃に落ちたパン本体と、焼かれただけで人の口に入らず、皿の上から下水に流されたり、床に落ちて掃除機に吸われたりする粉とでは何が違うのかという話だ。


落ちた粉はパンの一部である。そんな粉もあれば、本体から落ちずに口に運ばれた粉もある。粉はすべて本体から落ちるならまだしも、実際には落ちるやつと落ちないやつがいる。


落ちずに口に運ばれ、パンとして味わってもらえる粉と、本体から落ちたために邪魔もの扱いされ、ごみとなって消えていく粉がある。このあまりに大きな差はいったいどこからくるのかということだ。


じゃがいもの皮はどうなんだと聞かれれば、それは違うと答える。皮は最初から人の口に入ることを期待していない。なぜかというと皮だからだ。皮ははじめから人に食べられるものではなく、食べられる運命は用意されていない。


ところが、パンの粉は食べられるはずの運命なのだ。焼かれ、皿に載せられ、人の口に入るぎりぎりの瞬間まで食べられるはずだったのに、どこかの場面で本体から落ち、たちまちごみになりさがってしまう。こんなことがあっていいのかということである。


こんな紙一重の運命にさらされている食べ物はほかにあるのだろうか。


食卓に並ぶどんな料理でも、昔は「よそったら残さず食べろ」「口をつけた皿の料理は残さない」と親から厳しくしつけられた。ごはんを一粒でも茶碗に残したらこっぴどくしかられ、床に落としたら「拾って食べろ」とまで言われた。


だが、パンの粉だけは言われたことがない。粉がテーブルに散らばったらふきんでふき取り、膝に落ちたらごみ箱のうえで上手にはたく。床に落ちたら雑巾でふき取られるか掃除機で吸い取られる。一粒も残さないように食べろとも、床に落ちた粒を拾って食べろとも言われない。

この違いはどこからくるのかということだ。


実に不思議な話である。













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