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うるさいのは別にあった

執筆者の写真: 森徳堂森徳堂

更新日:2019年12月26日

電車の中で紙の新聞を折り畳んだりめくったりする音がうるさいと以前に書いたが、もっとうるさいのがあった。


車内放送である。次の停車駅の日本語案内に続いて英語の放送に切り替わる。ここまではいい。「日本も国際的になった」と思うぐらいだし、英語は子供の頃から習ってきたから少しは意味がわかる。


ところが、中国語、韓国語と続くととたんにうるさくなる。なぜだろう。考えてみたら、何を言っているか全然わからないからうるさく感じると気付いた。


中国語、韓国語をミャンマー語、スワヒリ語に置き換えたらきっと同じようにうるさい。言っている内容は日本語の放送とまったく同じだとわかっていても言葉が聞き取れないとうるさく感じるのだ。


中国人や韓国人はうるさいとよく言う。確かに声は大きいかもしれないが、それより何を言っているかわからないことがうるさく感じさせているのではないだろうか。


もし、同じ声の大きさでイギリス人同士が英語で会話していたら、中国人や韓国人と同じくらいうるさく感じるのだろうか。一度、実験してみたいものだ。


京都市の門川市長は11月20日、これまで積極誘致してきたホテルなどの宿泊施設に歯止めをかける方針を表明した。「市民の安心安全と地域文化の継承を重要視しない宿泊施設の参入をお断りしたい」と宣言した。京都市民は外国人観光客の急増に辟易しているのだ。


京都や奈良は日本の伝統文化のテーマパークともいえる。伝統の重み、奥深さ、そしてシンとした静けさに日本人は心惹かれる。


同じところに外国人観光客も魅力を感じるから、京都や奈良、和歌山の高野山にこぞって訪れるのだろう。


確かに外国人観光客はうるさい。願わくば、もうすこし声のトーンを落として話してもらいたい。そして、うるささのもうひとつの原因が何を話しているかわからないことだとすると、これはどうしようもない。


日本人がもう少し寛容の気持ちを広げるしかないのではと思う。京都市民には「そんな甘い話ではない」としかられるかもしれないが。


















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